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資格・免許状況など
- 呼出符号:JF1TLT(ex:JA3UMJ)
- ハンドル:"ZEN"
- 資格:第2級アマチュア無線技師
- 免許周波数帯:135KHz〜430MHz
- 空中線電力:50-200w
- 常置場所:東京都東村山市
- 主に出没する周波数:3.5MHz,50MHz(稀に7MHz,21MHz)
- CW(電信):欧文;ヘタ(特に耳悪し) 和文;からっきしダメ
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小学生で無線に興味を抱いた私は中学生になると県立小野中学校に進学し、そこでJA3YKH(小野中学校・無線部/現在は廃部)の存在を知り、即入部。
2年生になった頃に電話級(今の4級)の免許を取得し、「無線中毒」の道をまっしぐらに進んで行きます。
当時顧問の井上先生(※)は現役ハムの上級免許者。色々なことを教えて頂きました。
この頃の無線室の機械は往年の名機(当時の最先端機)、TX-88A(後に88Dを購入)、9R-59のコンビでした。コンテスト時には先生自慢のSSB機(YAESU FL-100B,FR-100B)が持ち込まれました(FL-200Bだったかも・・)が、電話級免許では触らせてもらえず、ただ眺めるばかりでした。
FR100B FL100B SSB 送受信機
※井上正蔵先生は、2011/1に逝去なさいました。先生のご冥福をお祈りします。
アンテナを建てなさい。と先生から言われ、21MHz用の5Aスペシャルを部員総出で学校の屋上に建て、9R-59のダイヤルをグルグル回していると、何かかすかにCQを出している局が居ます。何かJA以外のプリフィックスのようですが、当時の私にはそれがどこだか判りません。何度も聞いているとコールサインがようやく判りました。恐る恐るコールバックしてみます。
送信機はTRIOのTX-88A、受信機は同じくTRIOの9R-59
TRIO TX-88A送信機
そうすると、なんと返事が返ってきてしまいました!もうパニックです。
もう何を言ったか、とにかく知っている英語の単語を羅列したように思います。交信が終わっても1時間ほどは放心状態。この経験が更に「悪の道」へと私を駆り立てていきました。
生涯忘れませんよ、貴方のコールサイン。DU1CL
■当時の9R-59は21MHzでは感度が著しく低下します。その感度で交信が成立したのはコンディションにもよるでしょうが、アンテナによる所が大きかったと思っています。
TRIO 9R-59受信機
高校は地元の小野高等学校に進学。ここにもアマチュア無線局があることは中学校時代から判っていました。(ローカルですから常時声が聞こえますし、コンテスト時にはライバルです)
当然ながら即入部!(物理部/JA3YGV/残念ながらここも廃部)。無線三昧を満喫しました。当時のリグはTS-510(TRIO)だったと思います。当時の高級SSBトランシーバーが部内の機械ですから、流石に高校は違うなぁ〜と思ったものです。
TRIO TS-510
この頃に個人局を開局します。
JA3UMJこれでやっと念願の個人局が持てました。
部の名前は物理部ですがやってることは無線三昧。YL3人を部員に引っ張り込んで、やれコンテストだ野外移動だと名目を付けてはドンチャン騒ぎをしていました。(もうこれは時効ですよね、校長 ^^;)
また、部の予算獲得の名目には何か要ると、カンタンなアワードを片っ端から集め(一応、賞状ですから・・笑)数で勝負。賞状がたくさんあるので、予算は倍増。詐欺みたいなものですが、これも時効ってことにしておいてください。
高校生時代に無線三昧をし過ぎて学力は急低下。目的の大学受験に失敗してしまいます。
流石にこうなると両親からの厳命で無線封鎖です。まぁそれでも浪人中にも隠れてやってましたけど(笑) 仕事の関係で大阪に行ったことで仕事漬けの毎日になり、とても無線どころではありません。使用していたRIGは一部を売却し、一旦QRT。
大阪から東京に出て来た頃には少し時間的な余裕が出来、また無線を再開。JA3UMJ/1でオンエアを始めました。(東京・池袋)この頃の使用RIGはICOM IC-760です。
ICOM IC-760
アンテナを建てるには丁度いい屋上(5階建てのビル)がありましたので、これ幸いとビームアンテナを建てました。(21MHz 2ELE スイスクワッド)3.5、7MHzはフルサイズのインバーテッドV、14MHzはワイヤーを張って作った「固定」の2ELE八木でした。会社の上司が無線に理解があるというより「全くの無知」だったため、好き勝手にアンテナを建てても何も言われなかったのがツイてました。(あの時は無茶してゴメンナサイ、部長)
このビルのロケーションは都会にあっても中々FBでDX稼ぎにはもってこいの環境でしたね。
数年遊んだ後、独立を決意し、またもQRT。
東京で会社を興し、20数年間は仕事に明け暮れ無線を楽しむ余裕は全くありませんでした。
あるとき、取引先の社長と引退後の話をしているときに「ところで、貴方の趣味はなんですか」と聞かれ、咄嗟に「アマチュア無線とJazzですよ」と答えたのがカムバックするきっかけになりました。子供の頃のような情熱は既にありませんが、熱かった情熱のカケラはまだ少し残っています。
平成20年7月に開局を決意。
平成20年9月7日 JF1TLTの免許交付。
さぁ、また無線遊びを始めるかぁ〜。